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震災6カ月を迎えて

震災6カ月を迎えて
公明新聞:2011年9月11日付

新聞

公明党代表 山口 那津男
人間の復興、断じて果たす!
被災地の痛みをわが痛みとして!
公明党代表 山口 那津男

東日本大震災から6カ月。犠牲となった方々に改めて追悼の誠を捧げるとともに、ご遺族並びに被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

震災発生から間もない3月半ば、私は東北の被災地を駆け巡っていました。宮城県多賀城市、塩釜市、七ヶ浜町、仙台市……。海から吹き上げてくる風はまだ冷たく、空には時折、白いものが舞っていました。

ある避難所でのことです。一人のお年寄りが凍える身を毛布で包み、部屋の片隅にぽつねんとうずくまっていました。声をかけると、「何もかもが流された」とひと言。「生き残ったのが辛い」との訴えに、私は返す言葉も見つからず、やせこけた手を握りしめるのが精一杯でした。 

みちのくの地にようやく春の気配が漂い始めた4月半ば、地震、津波と原発事故の三重苦にあえぐ福島県の相馬漁港を訪ねました。青年漁師が海の彼方をじっと見据えたまま、立ちすくんでいました。「大変だったですね」。そう話し掛けると、「家も失った。漁にも出られない。この先、何の当てもない。政治家なんて言葉だけで何もしないじゃないか」と凄まじい剣幕でした。

言葉だけで中身のない政治、上辺を装うだけの虚ろな政治……。言葉は荒いが、若き漁師の叫びは一つ一つが真実でした。政治の不作為、怠慢、鈍感さに対する憤りとやるせなさが交錯していました。

政治に携わる者の一人として忸怩たる思いに駆られながら、私は咄嗟に青年の手を取り、じっと目を見つめて励ましました。「おっしゃる通りだ。でも、だからこそ共に立ち上がろうじゃないか」と。ややあって、青年はしっかりとした眼差しで答えてくれました。「信じていいんですね」と。 

思えば震災発生以来の日々、私の脳裏にはいつも、避難所で出会ったあの一人のお年寄りの姿がありました。若き漁師の顔がありました。おばあちゃんが、青年漁師が、そして全ての被災者が「復興なった」「よくぞやった」と喜んでくれる“その日”を思い浮かべて走り続けてきたと言っても過言ではありません。

震災6カ月目の朝を迎えた今、私はその決意と覚悟を新たにしています。全ての公明党議員が、被災地の痛みをわが心の痛みとして、「人間の復興」への道をいよいよ加速して駆け進んでまいりたい。 

もとより政治の使命は、「国民の生命と財産を守る」ことにあります。震災発生直後、民主、自民両党に「与野党を超えた総力戦」をいち早く呼び掛けたのも、与野党協議を通じて震災対策をリードしてきたのも、この一点のゆえでした。

しかし、菅首相(当時)の反応は鈍く、復旧・復興に向けた意思も決意も迫力も、そして何よりリーダーとしての資質も力量も決定的に欠けていました。今なお8万人を超える人々が避難生活を余儀なくされている現実が、そのことを如実に物語っています。

野田新首相が、前政権のこの失政、遅政をどう取り返し、本格的な復旧・復興の道を切り開いていくか。どこまでも被災者に寄り添い、被災地の目線から復興対策をスピーディーに進めていくのなら、公明党は諸手を挙げて協力する用意があります。しかし、そうではなく、前政権同様、上から目線の心なき対応に終始するのなら、公明党は厳しく対峙するのみです。

いざ東北再生へ、東日本再生へ、そして日本再生へ―。公明党は政治を前へ進めます。

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